日本のすがた・かたち

2008年12月03日
約束

hp-63.jpg楽しみは
夕焼けにみるひとつ星
冬の一会を想うその時


茶道は形(かた)といわれるもので成り立っています。

先日お祝いの茶会に招かれ、改めてその感を強くしました。
茶会の一連の構成は主題や季節によって変わるものですが、その流れやもてなす側と客との挨拶や問答などは、行儀作法という形をもって行われます。中でも、茶を点てる点前という作法が、その一会の中核を成していることは論を待ちません。茶道とは隅から隅まで作法という「形の結晶」によって形成されている、日本文化の大きな塊といっていいと思います。

形に托されているものは美しい生活への憧れだ、と私はみています。
先人はこの形をなぜ作り、どのようにして伝えてきたのか。それを尋ねてゆく作業そのものが茶道となっているような気がします。また、茶道という形態は、室町時代に勃興した茶の湯の行履を訪ね、時代と共に変貌してゆく運動体といってもよく、最も日本の、日本人のすがたを現わす運動体のひとつと考えられます。

その憧れを生むはずの茶道も、人と人との交流の上にしか成り立たないことから、ともすれば集団における辛い人間関係の中に身を置くことになります。その人間関係は人が人として生きてゆくためには避けられないもので、楽しいことよりも、むしろ禅の公案を解くような厳しい情況の中にいることになります。
人間は好むと好まざるとに関わらず、集団のなかで暮らすこと余儀なくされています。私は、先人が形を伝えてきた大きな目的のひとつに、違う人間同士を結びつける「接着作用」があって、形は夫々が同じように習得する作法であり、違う人間同士が行動する際に共有する、暗黙の了解システムだと思っています。形は無言で人と人とを結びつけ、あたかも宗教を奉じる同志をつくり出すような作用を起こしています。

そして、形は約束の言葉を生んでいます。
正月を迎えることになる頃、「床の間の荘(かざ)りは蓬莱荘りが約束になっています」と、いう約束の言葉がでてきます。茶道にいう常用語です。ここにいう約束とは、頼りとか手がかかりというようなもので、お茶では、それを掟とか規定とかいいません。断定しないところで人との信頼を目指そうとする、「そうすることが約束です」の言葉。すでに、流派の家元筋から出されている、厳格で揺るがすことのできない作法やきまりを、あたかもきまりのない融通無碍の世界にいるようなことにする。

断じない。
いい切らないで互いの救いを残しておく。

ここに日本人の智恵が滲み出ているように思います。人と人とが相和す、和みの智恵に他なりません。
人間不信から生まれた契約や規則の集積の形。それはまた常ならぬ人の世のならいから生まれたものでもあります。茶道の形にひそむ約束の言葉は、はるか縄文時代から使われきた日本人の言葉かも知れません。

そして、その茶道をものみこんでしまう「茶の湯」が、その向う側にあります。
茶道と茶の湯の違いには、日本人の重層的な精神構造が見え隠れしています。
私はいつも、お茶の楽しみや面白さと道連れで茶会に臨んでいます。


2008年12月11日
虎落笛

HP-69.jpg子どもらに
遺せし冬の気高さは
今も大和に絶えず続きぬ


福井の永平寺の雪深さに驚いたことがあります。

道元禅師がなぜ雪深い福井の山里に寺を開いたのか、その地に立った時それを実感しました。
私の冬は北風に鳴く虎落笛(もがりぶえ)と降る雪で、温暖の地で育ったせいか特に雪には思い入れがありました。

子どもの頃、雪が降る光景は夜の暗い空からでした。木の電信柱に燈る電球の灯りの中で、音もなく、次々と舞いながら落ちてくるのを、じっと見ていました。
私にとって、夏の炎天下の恐ろしいほどの静けさや、妖艶ささえ見せて雪の舞う光景は、四季を巡る日本の風土を肌で感じさせてくれるものでした。

後年、周辺にはこの風景が無くなりましたが、外国へ行くようになって、その都度日本の気候風土に思いをいたすようになりました。特にインドを旅した折には、行く先々で不思議と日本の、それも生まれ育った故郷の春夏秋冬の、その有様を思い出していました。

詩人の高村光太郎は冬を『きっぱりと冬がきた…』と詩っています。
私は未だに、光太郎が住んだ東北地方特有の季節感や情感を理解ができずにいますが、日本列島が有する緯度の差が、いかに私たちの精神やもののとらえかたに影響しているのか、分かるような気がしています。日本は、国土は狭くとも変化に富む気候を有した広い国ということなのでしょう。

地球温暖化が叫ばれ、環境という言葉を発しない者は社会的に落伍しているようにいわれている昨今ですが、気候風土はアメリカに象徴されるカジノ経済の有り方とは関わりのないところで息づいています。冬になって、寒風が吹きすさぶ頃になると、地球温暖化や環境を叫ぶ人たちの声が小さくなります。
地球の気候や環境は人間が左右できるほど小さなものではないはずで、人間の傲慢さやおこがましさが世を騒がしくしている側面があるように思います。
環境に思いをいたすことは、なるべく自然を手づかずのまま子どもたちに伝達してゆくことかも知れません。

冬になると、環境を謳う大人の行為を、天に舞う白い雪が諭しているように思うことがあります。今、私はその気候風土が創った手つかずの自然が残る日本列島に暮らしています。


「和の心にて候」能楽堂ライブが決まりました

開催日予定日  2009年11月29日(日)

場所  静岡県熱海市 MOA美術館 能楽堂

                                                                                                                                                                                                                         

2008年12月24日
茶籠

HP-70.jpg掌の中の
小さきものを愛でる汝
宇宙の果ての夢に遇うかな


私は旅をする時、トランクに道連れの茶籠をしのばせます。

茶籠(ちゃかご)は、抹茶を点てる道具を一式仕組んだ小振りの籠のことで、行く先々でお湯をもらい、独服し、また有縁の人と一服を楽しむもので、使い込んでいるものは、小さなトランクに丁度納まる寸法のものです。
中身は茶碗や茶筅、茶杓、抹茶を入れる棗など、まるで飯事の様な小さな道具を集めたもので、お菓子というと、これまた小さな振出しに入れた可愛い金平糖が常です。

以前中国を旅した時、長旅の列車の中で点てたお茶で国際交流をしたことがありました。掌に入るような小さな茶碗で抹茶を飲んだオランダ人一行の、不思議そうな顔が今でも忘れられません。

小さな物の中に大きな世界を観る。
これは万人に共通したものの見方だと思われますが、中でも日本人はこの思考回路が発達しているように思われます。
禅語に「壷中日月長(こちゅう じつげつ ながし)」(虚堂録)というのがあります。壷中とは「壷中の天地」のことです。
後漢の時代、汝南の町中に薬を売る老翁がいて、壷公と呼ばれていた。それは、常に一つの壷を店先に掛けていたことによる。ある日、費長房という役人が、店先に掛けてある壷の中に案内されてみると、立派な建物があり美酒、佳肴(美味しい料理や珍味)がならんでいた。
と、いう故事から、壷中は俗界を離れた別天地や仙人の住む仙境を意味し、これが更に転じて、禅の悟りの妙境にもたとえられたものです。

小さな壷の中だけでなく、たとえば盆栽や盆石の小さな物の中に大きな自然を観ることの得意な日本人は、小物を作ることに長け、江戸時代に流行った根付けや駄菓子から、現代の小さな自動車や二足ロボットまで、手作りの技術を駆使した驚異的な進化を遂げています。

大きくて、大雑把なものより、小さな物に本物を観る精神。

それはミニチュアの概念とは少し違い、日本人の思う小さな物には美くしいもの、愛らしいものというだけではなく、手作りを伝えてきた歴史的時間が潜んでいるように思います。先人は永い歴史を凝縮させた日本のすがた・かたちを、小物に託し伝えてきたのかも知れません。

小さな物、ささやかなものの中に、私たち日本人の好ましい誇りがみえるようです。

明日の25日に、次代を担う青年のひとりが南極に出発します。
彼の地で、オーロラを床掛けものとし、氷をお湯にして小物でお茶を点て、同士の皆さんで喫み合うことになるような、そんなシーンがあるといいな、と思っています。
                                                                                                                                                                                        


茶籠 (Cha kago)


YOU
Cherishing something little in your palm
Maybe meet a dream at the far end of universe


I always pack “茶籠 (Cha kago) ” for traveling as a kind of fellow.
“茶籠 (Cha kago) ” means a little basket set tea utensils completely.
Wherever I go, I get some hot water and enjoy powdered green tea by myself or with people I met while traveling. My favorite basket is just packed in my luggage.
Contents of “茶籠 (Cha kago) ” are little “茶碗 (Cha wan) tea cup”, little “茶杓 (Cha shaku) tea scoop”, little “棗 (Natsume) container for powdered green tea”, etc. like play house.
Some sweets are also little “金平糖 (Konpeito) confection” and stuffed in little “振出し (Furidashi) container for sweets”.

During a long trip in China, I had enjoyed international exchange in the train with whisking green tea.
I still remember Dutch people had tea wonderingly with a little “茶碗 (Cha wan) tea cup” fitting comfortably in their palms.

People can find a big stage in a small world.
I think above is a mutual mind-set, and especially that of Japanese people is remarkable.

There is a saying to the effect that “壷中日月長 (Kochu jitsugetsu nagashi)” in Zen.
“壷中 (Kochu)” is ‘the world in “壷中 (Kochu) pot” ‘.
In “ 後漢 (Gokan)” period, an old man sold medicines around the town of “汝南 (Jonan)”.
He was called “壷公 (Kokou)” because he always hung a pot under eaves.
One day, an officer named “費長房 (Hi chou bou)” was invited in that pot and found fine buildings, drinks and food.
According to this historical event, “壷中 (Kochu)” means cloistered world or enchanted land and Buddhahood in Zen by further extension.

Since Japanese people has been good at seeing in not only a pot but “盆栽 (Bonsai)” or “盆石(Bonseki)”, they have been able to create smaller. For example, “根付け (Netsuke) ” caught on in Edo period, molded confection, compact cars, robots walking with two legs and so on. The skill of their own making has developed dramatically.
There is a spirit of finding real one in not big and rough but small.
That is slightly different from the thinking of miniature and small things for Japanese have not only beauty and sweetness but historical time handed over their skill.
Our ancestors may leave Japanese traditional figure and form with small things.

In small or little things, I feel a source of pride for Japanese.

A young man for the next generation is leaving for South Pole tomorrow (Dec. 25th).
I hope he and his colleagues enjoy powdered green tea with ice of South Pole and little tea utensils. Of course, using aurora as hanging scroll.
(訳 あさのまみ)