和の心にて候

日本のすがた・かたち

2008年9月 3日
花鳥風月

hp-29.jpg雨降れば雨に聞きたし
風吹けば風に問いたし八十島の美を


「この江山の洵美なる、生殖の多種なる、これ日本人の審美心を過去、現在、未来に涵養する原力たり」

地理学者志賀重昂が「日本風景論」(明治27年)の中に書いている一文です。我が国の美しさと何が将来にとって大事であるかを説いています。日本の国土は生殖が多種で、我々の審美心をも養う原動力となっているといいます。またこの風景を変えてはならないともいっています。

里山、雑木林、棚田、水郷、干潟、人と自然の共生などの文字を見ることが多くなった昨今、この言は重く感じられます。

我が国の国土の約七割は森林に覆われています。外国で、かつてオアシスの国といわれたアフガニスタンの荒れ方などを映像でみますが、日本という国は、いかに農林水産資源に恵まれた国か、と改めて思います。江山の洵美、生殖の多種なる所以です。

生まれ生活する地域で産するものを食べ、地域の交流を食と祭事で繋げてきた。そして他を思いやる作法や習慣。日本人の生活の原点がこの辺にありそうな気がします。
食の安全と供給を脅かされている昨今、私は先人の生活の原点を思い、日本の美しさに思いを巡らせています。

2008年9月 9日
縄文20年

hp-32.jpg平成を縄文といい 替えてみよ
変わらぬヒトの生死ありけり


秋の空を見て、この雲の行方も縄文時代と同じかな、と思うことがあります。

私は時折、時代の呼称を変えてみることがあります。平成の次が和昭、その次が正大、冶明、そして安平とか良奈、鳥飛とかです。
今の時代を縄文としたら1万五千年前と何処に違いがあるだろうか、と想像を膨らせます。

棲むものが時の推移と共に10万、50万、1千万、1億人、67億人と増え、それに伴った食糧や情報の量が増えてきた分けです。それが人間の進歩といわれてきました。また、人間が自分に近い種を遺すために同じ人間を殺戮し植民地化をしてきました。その攻防が歴史を刻んできた分けです。それが科学の進歩といわれてきました。その攻防は今日でも続いています。

想像できる縄文時代と、云い換えた今日の縄文の世まで貫く一本の不変のものはあるのだろうか。人間は生き延びている。そこに果たして進歩しているといわれるものはあるだろうか。想像は何時もここに行きつきます。

次代に伝えるものは生々しい人の生だけ、といえば論をまちませんが、先人は苦界といわれる人の世の中にも、和みの色に染まる人の生もあると伝えています。

人間の生き死にが変わらない限り、その生きる美しところを子孫(うみのこ)に伝え、我もそこに喜び生きることはできそうです。

私は日本人の特質といわれるもの中に、その普遍的な智慧が潜んでいると見ています。

「和の心にて候」という祭事は、その普遍的なものを訪ねたいという、私自身の心の持ち出しかも知れません。

2008年9月12日
狭き部屋

hp-33.jpg君知るや
茶の湯の席の広きこと
大和のすがた容れて余れり


畳(たたみ)3枚の茶席を3畳の席といいます。

ここで客2、3人を招き茶事をします。簡単にいえば、この狭い部屋で飲み食いし、最後に濃いお茶を皆で飲むという行為です。今日のものは桃山時代から400年ほど続いてきた儀礼儀式といわれています。

不思議なことに、日本に憧れる外国人は、必ずといっていいほどこの狭い空間に入りたがるといわれます。そして、余りの狭さに驚くそうです。実は、この狭い部屋は只の部屋ではなく、日本なるものが隅から隅までつまっています。それを知りたいのだろうと思われます。

一連の茶事をおこなう施設の茶室には、日本のすがた・かたちが濃密に漂い現れていて、目的は客をもてなすためだけのものですが、その中には遠く縄文の頃から続いているかた(作法)が充満しています。世界に類例のない、かたの結晶といってもいいでしょう。

私はこの狭い部屋で展開される人間の所作に、日本人が培ってきた美しい生活への憧れが横溢していると見ています。かたちのない想いから、所作動作のかたをもってかたちあるものを造る。それを連綿と続け繋げている民族。人間の精神性の高さや品格は芸術を持ってしか得られない、とは先人の言ですが、日本人はこれをひそやかに巡る季節の中で育んできています。

今、狭き部屋の中で、祭りを含めて生活のかた(作法)を生みつづける日本人の特性を、今更のように思い起こし、なぜ他国から、日本人がお手本にされることが多いのか、との思いを巡らせています。

2008年9月18日

hp-34.jpg大和なる和みの色を伝えかし
直ぐき思いや花をたよりに


和みの色は赤や白という色彩の色とその趣を異にします。

その色は、平安初期に編まれた「古今和歌集」にもみえる、物事の美しさ、容姿の美しさ、はなやかさ、というもので、「秋の色が深まる…」というように、ものの趣、けはい、きざし、様子などにも用いられる言葉です。

いろは歌の元といわれる「色は匂えど散りぬるを…」の色も同じような意味ですが、この情感は日本人特有のものといわれ、外国では理解し難い言葉といわれています。 

私たちは日常、日本民族というような民族意識や、日本主義というような原理主義的な感覚をもって生活をしていません。強いていえば、この島国の自然の中に暮らしている一団の日本人、というような感触意識です。

現在、世界の各地で民族闘争が繰り広げられていていますが、その闘いは絶えることを知りません。民族意識や民族間の闘争は、私たちには実感のないもので、過去の歴史をみても、戦はあってもこの民族間の闘争はないようです。稀有な民族といわれる所以です。

その闘いを生じさせないもののひとつに和みの色がある、と私はみています。

先人はこの色を永々と伝えてきました。この自然が生ましめた繊細で情に溢れる思いです。そして花です。花とは世阿弥が「風姿花伝」いう芸術性ともいえるもので、これを真っ直ぐな心にのせて次代に手渡してゆく…。

去年の11月、熱海で開催した祭事「和の心にて候in熱海」のライブで、箏曲家の草間路代さんが、妙なる声と美しい調べで能楽堂を染めました。きっと、この歌も喜んでくれたと思っています。

私はその日、日本人の和みの色をまざまざと観ました。

2008年9月26日
きれい

hp-35.gifこの国の縄文のその昔から
伝えつたえしかたを見せばや


相撲は日本の国技とされています。

栃錦や若乃花が活躍した時代に育った私は、相撲というと、不思議に横綱が土俵入りにつけてくる白い綱の紙垂(しで)を思います。あの白い紙は神の依り代で、綱は神の存在をみせているというものです。

相撲はノミノスクネ(野見宿禰)とトウマノケハヤ(当麻蹴速)が11代垂仁天皇の御前で取ったのが始まりとされますが、古事記にいう国譲りの神
                            話にその原型があるともいわれています。

江戸時代にプロスポーツ化した相撲は、型のかたまりといわれるほど厳格な型世界です。私はこの相撲と茶の湯に日本人の好みというか、日本なるものの塊を感じています。
神聖で清き「かた・かたち」を好み、きれいを求めケガレを厭う。日本人が最も好ましいと思う情感です。

横綱貴乃花は型がきれいな横綱でした。今、最強の横綱白鵬はかつての貴乃花に風体が似ていると思いますが、似ていないのが懸賞金を手にした時の所作です。
その作法は個人が持っているクセばかりではなく、民族性や生活風習か培ってきた型の違いではないかと思えます。懸賞を受け取ることには何の違いも優劣もありませんが、人々は横綱に、なぜかきれいな所作を求めているようです。

横綱をただの相撲取りとせず、神の化身、大いなるものとしたところに、強くきれいな姿に憧れる日本人の特質が見え隠れしています。


”きれい” beautiful

Hope I can show “Kata” having been taken over and handed over in this country
since a long time ago like the Jomon period.

相撲, Sumo wrestling is known for the Japan’s national sport.
I grew up in “栃錦 (Tochi nishiki)” and “若乃花 (Waka no hana)” generation and talking of Sumo, I often visualize “紙垂 (Shide)” ,attached fluttering papers to the white rope and put on by “横綱 (Yokozuna)”, grand champions in “土俵入り (Dohyo iri )”, the ring entering ceremony. That white paper means dwelling place of Gods and that white rope means Gods’ existence.

It can be said that the beginning of Sumo is a match between ”野見宿禰 (Nomi no sukune)” and “当麻蹴速 (Touma no kehaya)” watched by the 11th Emperor “垂仁 (Suinin)”.

Or it can be said that original form of Sumo is written in “古事記 (Kojiki)”.
Sumo professionalized in the Edo period has hard and fast style. It’s not too much that Sumo is made from just “Kata”. Moreover, I feel Japanese tastes or a mass of Japaneseness in both “相撲(Sumo)” and “茶の湯(Cha no yu)”.
Feeling of being pure and beautiful in sacred and clean “Kata, form” is the best for Japanese.

“横綱 貴乃花 (Yokozuna Taka no hana)” used to get good “Kata”. I think today’s most powerful “横綱 白鵬 (Yokozuna Hakuhou)” is similar in appearance to “貴乃花 (Taka no hana)”, but they have different actions before received the cash prize for winners.
I feel their behavior is influenced not only by habits but differences of “Kata” in ethnicity or the ways of living. Receiving the prize is noting difference. Of course, nothing is inferior.
But somehow people expect “横綱 (Yokozuna)” to do cleanly.

When people think “横綱 (Yokozuna)” is not only a sumo wrestler but avatar or something great, I can realize a piece of Japaneseness for being strong and beautiful.
(訳 あさのまみ)

2008年9月30日
こと

hp-38.jpg今更に瑞穂の国の有様を
知ることとなる深い情けも


こととは神事、祭事、茶事、慶事というような意味のことです。

また、「もの」という言葉にたいする「こと」でもあり、物事というように違うのものがひとつになって表現されるものでもあります。

私は、茶の湯にいう茶事を数十回と重ねるようになって、あることに気づくようになりました。
茶事の内容は、招く側の亭主と招かれる側の客との饗宴が主体です。有縁の人たちが一カ所に集まり、そこで交会する催事です。時間は約4時間の饗応ですが、その構成は3部だてに組まれています。

前半の「初座(しょざ)」、後半の「後座(ござ)」、そしてその間の「中立ち」、つまり幕間、間合いという、気分一新のための休憩時間です。今日、茶事は能の演劇性と禅の精神性をベースに組み立てられ、それに飲食を伴わせた非日常的なものと考えられていますが、私が気づいているのは、茶事は非日常的な事ではなく、ごく日常的な出来事ということです。

「物」が3次元の立体形ならば、「事」は世に現れる現象で、かたちではない「かた」というハタラキというものです。物が茶道具ならば主客が共に演者となる所作という「事」です。

日本人は古より、この物と事を一体とすることを目指してきたようです。
物は事によって命を吹き込まれ、事は物によって目的を達成する。先人はこれを日常の生活の中で繰り返し伝えてきました。私はここに深い好感を覚えています。
ともすれば、物が優先し、事がおろそかになっているような昨今。物を輝かすには事から始まり、調和することが大事だよ、と教えられているようです。

平成バブルの頃、雨後のタケノコのように美術館建設ラッシュがづづきました。現在、その運営が困難になっているところは、物はあっても事を見失っているいるところがほとんどのようです。日本人が物事に対する慎みや畏れを忘れだした頃から、これは予見できるものでした。
事は物に光を与え、見るものを高め、楽しませるるものです。

私は祭事「和の心にて候」を企画し構成する際、この物事がひとつになる茶事を思うようになりました。

                                                                       

光の射す道


その時

私はディジュリドゥが響く鋸山から天空に飛翔した

西を見下ろすと 雲の上の富士山が未明の姿を見せていた

東方は雲を丸くし 来光の時を待っていた


やがて

冥い宇宙から光輝が一点 眼に飛び込んできた

すると 雲海が瞬く間に裂け

陽光は東海から東西に延びる鋸の峰を一直線に渡りはじめ

箱根の強羅へ向かい そして山梨の七面山 一宮 綾部を通り 

島根の出雲へと走った

その光は海を渡り インドの釈迦の聖地ルンビニへとゆく

なんという美しい光の道だろうか


次の日の未明 私は夢の中でこの光景を見ていた

太古から絶え間なく続く 東方からの神秘なるエネルギーの放射

私は 鋸山の峰を渡る風の その声も聴いていた

(9月28日鋸山へ 29日夢の中で)

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